オーガニック・コーラは持続可能な大衆消費社会の夢を見るか?

もう2ヶ月ほど前になるでしょうか。
Red Bullがオーガニックのコーラを売り出しました。
通常のコーラだけでなく、ジンジャー味とレモン味の3つのラインナップがあります。
日本ではローソンで買えますね。



写真はレモン味。
普段飲んでるコーラとまた違った味で美味しかったです。
日本でオーガニックのコーラがこんなに早く売られるとは思っていなかったので驚きました。
ちょうど発売された当時、イギリスで売られているフェアトレードのコーラを授業で紹介したところでした。
コーラがフェアトレードやオーガニックとして売られるという現象。これをどう考えるか学生に考察してもらったのを覚えています。

というのも、そもそもフェアトレードやオーガニックは大衆消費社会=近代産業社会のアンチテーゼとして登場してきたものだ、というひとつの経緯があるからです。
そのアンチテーゼたるオーガニックが、大衆消費社会の象徴であるコーラとしてコンビニに並ぶわけです。
これを消費社会それ自体が持続可能なものへと舵を切っていく転換と見るか、それともオーガニックが商業主義的な大衆消費社会へと堕ちてしまったと見るか。
こうした論争が一部にあるわけです。

オーガニックを古くから支援してきた人たち、例えば有機農業運動を推し進めてきた人たちの中には、こうした大衆的な商品化には抵抗感を示す人も多くいます。

なぜなら、コーラやコンビニを好むライフスタイル自体が大量生産大量消費を促進するものであるし、それを売っているRed bull のようなグローバル資本への抵抗軸としてオーガニックは位置づけられてきたからです。

大量生産されたオーガニックは、たんに認証された原材料を使っているに過ぎません。
フェアトレードやオーガニックの本質が近代産業社会システムとは異なる「顔と顔の見える関係」にあるという前提のもとでは、オーガニック・コーラは「偽物」だということになります。
更に言えば、オーガニックが理念を骨抜きにされてマーケティングに利用されているだけだと批判的に見ることさえできるわけです。
じゃあ「本物」はどこにあるのかというと、買い手と売り手の提携の中にあると言われます。
近代産業社会のいわばフォード的生産様式とは異なる「顔と顔の見える関係」の中で生産され消費される食べ物こそが「本物」の有機(オーガニック)だというわけです。

こうした思想は、産業社会の中で生まれ育った僕たちの前提を相対化するものであるし、これからの新たな時代を構想していく上で不可欠でしょう。

一方、オーガニック・コーラの側の視点に立つならば、その「本物」とはいったい何なのかと逆に問い返すこともできます。

というのも、その「本物」に近づけるハビトゥス(習慣)をもっているのは、一部の教養の高い富裕な都市民に限られています。
成城石井で買い物し、世田谷で生活クラブに入り、青山のファーマーズマーケットで買い物し、代々木上原の古民家レストランで地産地消を嗜む。
こうしたハビトゥスの中に、「本物」のフェアトレードやオーガニックが埋め込まれているのが現状です。

それは別に悪いことでもなければ、仕方のないことでもあるかもしれません。
しかし、斜に構えて見るならば、エシカルやサステナブルといった理念が、こうした階層の占有物になっているとも言えるわけです。
その観点からコーラやコンビニが、大量生産だとかフォード的生産様式だとか「偽物」だとか言うのは、一種のエリート主義なのかもしれません。

これは、どちらの視点が正しいかという話ではないし、一筋縄にいく話ではないと思います。
ただ、僕自身は、フェアトレードやオーガニックが、経済的・文化的・地理的な制約を超えて、もっと大衆の手に届くものにならなくてはならないのではないかと、個人的には思っています。
コーラやコンビニのようなジャンクな消費スタイルに負の烙印を押して、それらを「偽物」と呼ぶのではなく、フェアトレードやオーガニックそれ自体を等身大のライフスタイルに近づけていくことが大切なのではないかと、そう考えています。

例えば、ショッピングモールのフードコートやロードサイドのファストフード店やコンビニ、そういったグローバライズされたありふれたライフスタイルの中にこそ、フェアトレードやオーガニックは普及していかないといけないのではないでしょうか。

そんなオーガニック・コーラの夢が成功するかどうかは分かりません。
それは近代産業社会を延命させる免罪符かもしれません。
あるいはオーガニックが自らの内にビルトインしたトロイの木馬かもしれません。

けれどもオーガニック・コーラが、オーガニックが纏ってきたそのアウラを凋落させ、持続可能な暮らしを大衆に開放する可能性があるのであれば、僕は応援したいと思います。




写真は池袋駅の構内の宣伝。
「オーガニックを、カジュアルに。」
いっけん陳腐かもしれないけれど、オーガニックをめぐる論争のコンテクストを知ると、挑戦的なキャッチコピーに見えてくるのではないでしょうか。