フェアトレードタウン国際会議in熊本

最近全くブログを更新していませんでしたがちゃんと生きている畑山です。

新年度を迎えて気も新たに、ブログを更新したいと思います。

まずはご報告。
3月28日から3月30日にかけて、フェアトレードタウン国際会議in熊本に参加してきました。


全体会議という名のパネルディスカッションでは、フェアトレード運動で世界を牽引する各国の代表者たちが意見を交わしていました。

興味深かったのはオーストラリアのオルソン氏とイギリスのクラウザー氏とのやりとり。
オルソン氏は、大企業をフェアトレードに包摂していくために効率性と公正性のリンケージを形成していくことの重要性を主張。
一方、クラウザー氏はフェアトレードの「草の根」主義的側面を強調し、公正性が効率性に対するオルタナティブであると主張。

まあ、フェアトレードに関する議論としてはよくある衝突の構図ではあるのだけれど。
ただ、あまりにもディスカッションの中ではオルソン氏が孤立し過ぎていたようにも思われた。
登壇者は様々な立場で構成されているが、いずれの立場からもオルソン氏の発言は軽視されていたような気がする。

むろん、フェアトレードタウン運動自体がクラウザー氏によって創始されたものであるので、理念的には「草の根」主義的な色合いがそもそも強いのがこの運動の特徴である。
他方でオルソンはフェアトレード・ラベル機構の前理事長。
そもそも、市場経済へのフェアトレードの内部化を志向してきた人物である。

フェアトレード「ラベル」運動とフェアトレード「タウン」運動の相違が如実に表れたディスカッションだったと言えるだろう。

ただ、この国際会議はあくまで「タウン」運動が主役。
「ラベル」運動からの刺客、オルソン氏は、初めから引き立て役としてキャスティングされたに過ぎなかったのかもしれない。

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フェアトレードタウン運動とは、フェアトレードを地域に根付かせようとする運動であり、イギリスのガースタングから始まった。
2010年には日本ではじめて熊本が「フェアトレードシティ」に認定されるにいたっている。
熊本市はフェアトレードシティくまもと推進委員会と連携し、各種広報キャンペーンや市民の勉強会の開催、学校教育での積極的なフェアトレード教育を盛り込んでいくと言う。

しかし、なんだろう。会議を通じてなにか違和感を感じた。
熊本市は議会でフェアトレードへの支持を決議、積極的にフェアトレード推進していくと表明し、市は自らの役割を「市民へのフェアトレード周知」として位置付けている。
その位置づけ通り、フェアトレードシティの認定後は市が支援するイベントが多数開催されている。

イベントを通じた認知の普及が重要であることはわかるが、それだけならばフェアトレードシティなどという制度は必要がないような気がする。
認定されていなくとも、フェアトレードを推進することはできるし、そういった自治体も日本には少なからずある。
せっかく「フェアトレードシティ」と名乗るからには、フェアトレードで取引をおこなう市内企業への税制優遇措置を講じたり、補助金制度や誘致制度を整備するなどして地域経済におけるフェアトレードへの誘因を生み出すべきではないだろうか。
議会や行政がこの種の運動に真剣にかかわるということはそういうことであるはずである。
もちろん私が知らないだけで、そういった話もあるのかもしれない。
ただ私の知っている限りでは、その手の話は熊本では聞かなかった。
熊本市内でのフェアトレード取引額の目標値も発表されていない。
イベントを開催したり、勉強会を開いたりするのは結構なことなのだが、行政がフェアトレードとかかわるということがどういうことなのかをもう一度問い直す必要があるのではないのだろうか。

そもそもフェアトレードは、ラベルによる公正の脱空間化=脱地域化の作用によって広く普及した。
少なくともフェアトレードが現在の段階にまで普及したのがラベルの力であることは実証的にも明らかである。
しかし「ラベル」運動は普及を成功させたが、他方で見落とされてしまった「草の根」的側面があり、それを補完するのが「タウン」運動なのではあろう。
「ラベル」運動が公正の脱空間化=脱地域化であるとすれば、「タウン」運動は公正の再空間化=再地域化の運動であると言える。
しかし、その再空間化=再地域化の試みが、イベント開催や教育支援だけで全うされるようには到底思えない。

今の熊本において、フェアトレードは地域経済の水準の問題ではなく教育・文化の水準の問題に位置づけられているように感じられた。
それはそれで大事なことだとは思うし経済と文化は必ずしも全く別次元の問題ではない。
しかしフェアトレードは根本的には経済活動である。商取引である。
これは忘れてはならないだろう。
税制優遇や補助金によって地域経済を動かすことによって、はじめて「行政が動いた」と言えるのではないだろうか。
その意味では、地域通貨とフェアトレードを連動させようとする名古屋の取り組みは進んだもののように思える。

経済効率性とのリンケージを重視する「ラベル」運動と、草の根的性格を重視する「タウン」運動という対比で見るならば、税制優遇や補助金という発想は前者のものに近いかもしれない。
しかし、公正な地域経済はいかにして可能かを真剣に考えるならば、本当に前者の発想は拒絶されるものなのだろうか。
何らかの形で公正性を効率性に内部化していくことは、おそらく「タウン」運動においても避けては通れない道なのではないだろうか、と私は思う。

もちろん、フェアトレードシティ熊本は始まったばかりであり、今後の発展には期待させられる。
ただ、フェアトレードシティがたんなる「ごっこ」で終わらないことを祈りたい。


 










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